仕事をこなせるようになる気力
無気力状態だった知人から近況報告が出ていた。
すべての責任を断って、趣味に没頭する生活を続けていたら
また気力が出て来たとのことで、吉報ということになるのかな、と思っている。
私も前の仕事辞めてしばらく経ったのにうつ状態が続いてる
在職期間も含めると5年くらい何の努力も出来ず何にも興味を持てない
彼みたいに仕事バリバリやってきた人が燃え尽きてうつになってしばらく休んで復職するってのはともかく
仕事覚え始めの何も出来ない新人状態で無気力になって
今スキルは新人レベルのくせに気力すらないっていう最悪の状態
どこで道を間違えたんだろう
何が悪かったんだろう
どうすればよかったんだろう
職場での立ち位置というのはクラスのカーストと似ていて、
一度カーストが定着するとそこから抜け出すのは難しい。
クラスだろうが職場だろうが構成する人間が同じである以上
何年年を経ようが子供時代と同じような枠組みを作ろうとするものだ。
子供時代の悪夢は大人でも再現される。
しかし大人は自分の力でその枠組みから出て行くことが出来る。
私は学生時代、パン屋、ファストフード、コンビニ*2、デリキッチン、ファミレスの厨房、スーパーのレジ、コールセンター、メールサポートとやったが、
どれも適性がなく次々職を変えていった。
そこからITにうつったが、最初に任された仕事が事務作業、運営であり、これも適性がなかった。
流れ作業の中でミスが頻発し、これがまともにこなせるようになるまで開発の仕事は割り当てられなかった。
結局めざましいミスの減少は達成出来ず、数年して少しずつ、開発の仕事がこわごわと振られるようになったが、後輩にどんどん追い抜かれ焦りから転職、
受託のみで回してる私以外に技術者が一人しかいない会社に入った。
振り返ると、15回以上転職して、仕事の面で認められたのはこの会社に在籍していた3ヶ月だけだったと思う。
これは自信になった。運用ではなく納品タイプだったことがボロが出ずに済んだ。
世の中レベルの低い会社は結構ある、そういうところでなら新人に毛が生えたような私のスキルでも仕事が出来る。
他の仕事で泣かされたらブラックに帰ればいい。そんな居場所を見つけたと感じた。
インフラ担当者がいなく、負荷対策の知識が全くなかった当時負荷の解決が結局出来ないまま次の案件が動き出す前にと(常時動き出してない案件が5つぐらいあって区切りじゃないと退職出来なかった)退職してしまったが、インフラの人さえいてくれれば続けられると思っていた。
その後障害者のサポートの仕事に転職。
全く勤まらなかった。5年ぶりの対人仕事、年を取っても適性は全く変わっていなかった。
やっぱりダメかとITに戻るにあたって、一つの決心をしていた。
最初の会社のように仕事が与えられず、自分の時間がさらに浪費することになればすぐに見限ろう、個人で格安で仕事を受けてとにかく経験を積もうと。
結局その会社でもはじめに運用が与えられ、
しばらくカスタマーサポートと、htmlの修正の仕事が続いた。
見限ろうと思っていたのに、思ったように動けなかった。
半年ほど動けず、私に仕事を与えてくれていたリーダーに、
開発の仕事をもらえるように言ってみたら、「ごめんなさい、気がつきませんでした」
と返って来た。
そこから開発の仕事をもらえるようになり、がんばってたんだけど
元々の経験とスキルが低いので怒られることが多かった。
昔と違い、今は適性ではなく努力で乗り越えられる壁のはずなのに、
「努力しなきゃいけない」という意識が「どこへいっても何の仕事もできない」という意識につぶされて、長いこと無気力に陥っている。
そもそも、プログラムを覚えた当初は努力なんて意識はなかった。
純粋にものが作れることが楽しかった。
もの作りへの興味がうすれたのは、年齢的なものだろうか。
順調にスキルアップをはたしたエンジニアはこれまでのスキルと自信から新しい技術を吸収し、仕事が出来ているのかもしれない。
何が悪かったかと言えば、
対人仕事、事務作業を早々に見限れなかったことで無力感が強く残る結果となった
色々あったけど、致命的な選択ミスとしてはこれだろうか。
今はストレスなく、傷つくこともなく、ふさぎ込むこともなく暮らしが出来ている。
受託やってみようかな、とも思っている